手打そば やまさとのルーツ(その2 )

手打そばやまさとイメージ

前回に引き続き弊社が現在に至った続きを書かせて頂きます。

昨日も、阪神淡路大震災から25年の日々が経過した報道がなされておりました。
震災直後の数年。命こそ守ることが出来ましたが、震災によるメンタル面の後遺症が我々被災者へ大きくのしかかっていた時期です。

経済的な損失は、それまでの生活を一変させ家族をバラバラにし被災者の全てを奪いました。
バブル経済のぬるま湯に浸ってこれまでの人生を過ごしていた私にとって、唯一、手打製麺の技術が残されていたことが救いでもありました。

拠点をお招き頂いた山中湖へ移し最初に店舗を構えた場所は、山中湖湖畔の富士山の見える素晴らしい場所でした。
人を介して様々な方々との新しいお付き合いが始まりました。ありがたいことに金銭的な援助もいただきました。

当時、手打製麺の技術以外に何もなかった私は、様々な情報を収集して震災で低迷した自分の人生を前進させようと必死にもがいていた時期でもあります。ただし、それまでの人生とは住む場所も違えば、習慣も違う、交友関係も全てがリセット。中々リズムに乗れずに苦しんでいた時期です。
「震災さえなければな〜」と後ろばかり振り返っていた時期でもあります。

そこで、出会ったのが現在使用している契約栽培幻の山の蕎麦、裏磐梯雄国産の蕎麦です。
皆様には「山の蕎麦」の素晴らしさは普段からお伝えしておりますが、ご案内頂いたその日に衝撃が走り、この出会ったことのなかった極上の材料に、
「これからの人生を掛けてみよう」と言うぼんやりとした幻想が目の前に現れました。

おかげさまで、国産蕎麦の中心的な存在である雄国蕎麦の関係者から様々な情報を頂き、蕎麦の知識や技術も多く習得させて頂き手打製麺が楽しくて、楽しくて仕方のない時期を再び迎えることが出来るようにもなりました。

順調にとても幸せな時期を再び迎えることが出来ていたのですが波乱万丈の蕎麦人生。
その後、面白いもので大きく軸が振られることになります。

ここでのさらなる飛躍は次回「その3」で書かせて頂きます。

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